本上まなみさんは、知的で透明感のある美人の代表格で、CMから司会、最近では女優として朝ドラ『ブギウギ』出演、
更にはエッセイや舞台にも大活躍の元祖癒し系として知られます。
そんな本上さんの情報を集めてみました。
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本上まなみのプロフィール
本名:沢田まなみ(さわだまなみ)
ニックネーム:ほんじょ
生年月日:1975年5月1日(現48歳)
最終学歴:池坊短期大学
職業:女優、声優、ナレーター、エッセイスト
出身地:大阪府茨木市
2013年4月より京都在住
結婚相手と決めたこと
なんの思い入れもなく決めた結婚記念日
本上さんは2002年12月11日に18歳年上の編集者・エッセイストで「暮らしの手帖」前編集長である沢田康彦さんと2年半の交際を経て結婚されました。
当時本上さん27歳、沢田さん45歳。
本上さんと夫沢田さんとの馴れ初めは、沢田さんが主催の『メール短歌の会「猫又」』で知り合ったことだそうです。
本上さんの好きな男性のタイプについてですが、以前本上さんが好きな男性のタイプについて質問をされた時に、「あまり目立たないような人でマイペースな人が好み」とコメントをされていました。
本上さんにとって沢田さんはまさに理想の結婚相手だったのではないかと思います。
結婚について電撃発表して世間を驚かせましたが、この裏には週刊誌のリーク潰しがあったとのこと。
リーク潰し?何やら穏やかではないですね。
「お付き合いをしていて、そろそろ結婚しようかという感じにはなっていました」
そんな折、週刊誌側から「『クリスマスに本上まなみが入籍』という記事が出る」との連絡が入ります。
「何も決まっていなかったんです。それに、イブに結婚なんて恥ずかしいじゃないですか」
「イブ婚は絶対にないので、そんなことを言われて癪(しゃく)にさわって、
『婚姻届出しちゃえ』って」と、「記事が出る前に結婚に踏み切ることに決めました」とのこと。
そのため「なんの思い入れもない12月11日が結婚記念日なんです。語呂合わせもないし」とため息。
行動してから後悔されているのでしょうか?
何と言うか、素の本上さんは癒し系というより勝ち気系みたいですね。
結婚で決まった自分の居場所
本上さんのキャリアのスタートは10代の頃のモデル業からでした。
本上さんは自らの仕事と結婚について次のように語っています。
「モデル業はクライアントからのオファーがあって初めて成り立つ仕事です。
当時は取り組むことで一生懸命でしたが、今思えばずいぶん空回りをして来ました。
男性が読むような雑誌のグラビアの仕事が多かったのですが、身の丈に合っていないような居心地の悪さがありました。
変に根が真面目なのか、無理してでもクライアントからの期待に応えようとするほど疲れてしまって、具合の悪い日が続いていたんです。
そんな中、仕事で沢田さんと出会って、当時の赤坂プリンスホテル旧館で結婚式を挙げた途端に居心地が楽になったんです。」
また、このようにも仰られています。
「学生時代から仕事をしていて会社勤めもしたことがないので、組織の一員として頑張ったことがほとんどありませんでした。
それが結婚した瞬間に「自分の所属が決まった」と感じました。
つまり、家庭という居場所が出来たことで気持ちがうんと楽になったんです。」
それだけでなく「18歳年上の夫との京都暮らしで人生が変わりました」とも語っています。
結婚当時マガジンハウスの編集長だった沢田さんには18歳年上という年齢的な頼もしさをまったく感じなかったそう。
それは彼女自身が「長女で小学生のころから家の用事をこなしていたので、内面がすごく老けていた」からだそうです。
二人は沢田さんを「おやびん」、本上さんを「ちびまる」と言い合う仲。
そして夫婦の会話はお互いの出身言葉である関西弁。
結婚して20年となり、今ではすっかり仲良し老夫婦なんだとか。
初めて共著することで破られた暗黙のルール
夫の沢田さんは4年間の東京での単身赴任を経て京都に戻りましたが、ようやく家族が揃ったと思ったら、沢田家はコロナ禍で自粛生活を余儀なくされます。
本上さんはこの時期の様子を、夫婦共著での京都暮らしのエッセイ「一泊なのにこの荷物」で著しています。
このエッセイでは沢田家の小さな暮らしの記録として、コロナ禍に京都でのびのび子育てする様子が描かれています。
具体的には本上さんが「あさごはん」「運動」といった各章ごとのテーマを決めて、①本上さん→②夫の順に綴っています。
今回エッセイストとして初めて共著されたというのも意外ですが、照れもあるしお互いの仕事に介入しないのが暗黙のルールだったので、これまで夫婦での共著は一切してこなかったそう。
結婚生活20年目にしてこれがエッセイストとして初めての夫婦の共同作業だったんですね!
お祝いに二人でケーキに入刀してもらいたいものです。
京都に移住してなりたかった子供たちの親分
16歳の娘と10歳の息子がいて、日々若い子供たちと接している本上さん。
現在、京都で築100年の古民家に住んでおられますが、自然が豊かな京都に移住した理由の一つは「子供たちに自然に囲まれた生活をさせてあげたい」と思ったからだそうです。
具体的に言うと『子供に自分が小さいときにやっていた木登り、ザリガニ釣り、魚を捕まえるとか虫を捕ることを教えて親分になりたかった』からだと言います。
「東京に住んでいるとあまり自然がないから、自分が親分になるために最適な場所はないかなと選んだのが京都だった」
思わず本上さんにはガキ大将願望があるのかなと思ってしまいましたが、かつて生粋のアウトドア派だった本上さんのお母さまと「小学校の頃、毎週のようにキャンプに行っていた」経験を「今度は自分が親分になることで子育てに活かしたい」のだそうです。
素晴らしい親心ですね。
本上さんが沢田さんを「おやびん」と呼んでいるのも、上に立つ人間としてレスペクトされているからではないでしょうか?
まとめ
モデル業にはなかった自分にとって居心地の良い居場所を最愛の人との結婚によって見つけ、子供たちの情操教育の為に京都で住むことを選んだ本上さん。
築100年の古民家に住んでいるのも、「今のように何でも揃う時代に古いものに触れることは貴重だと思っている」からだそう。
本上さんは私たちが忙しい毎日の中で見落としがちな心の豊かさを求め、日々実践されています。
ただ思うだけでなく行動する。そんな本上さんに見習うべき点は多いと感じます。