やす子の母は毒親?父親が蒸発し養護施設から高校に通う壮絶な生い立ち 自衛隊から芸人になったきっかけは?

「はい〜」でブレイク中のお笑い芸人・やす子さん、

いつも明るい愛されキャラで、今やバラエティ番組に引っ張りだこで

2024年の24時間テレビではチャリティーマラソンのランナーにも選ばれました。

今回はそんなやす子さんの経歴について調べてみました。

やす子の家族構成

お笑い芸人・やす子さんの本名は安井 かのん(やすい かのん)です。

1998年9月2日、山口県宇部市に生まれます。

やす子さんの家族構成は、以下のとおりです。

  • 父親(元自衛官)
  • 継父(母親の再婚相手、現在は離婚)
  • 母親(シングルマザー)
  • やす子
  • (5歳年下、母親と継父との子)

2歳で両親が離婚し父親が蒸発

日刊スポーツ

やす子さんが2歳の頃、両親が離婚し、

実父は家を出て音信不通となります。

そのため実母が女手一つでやす子さんを育てます。

母子家庭で給食しか食べられない貧困生活

日刊スポーツ

両親が離婚後のやす子さんの家庭は

母子家庭で、経済的にもかなり困窮していたようです。

子供の頃のやす子さんは、

学校の給食以外、何も食べられない日も頻繁にあったらしく

給食の無い夏休み中には、

安売りのパンの耳を大量に買い込んで飢えを凌いでいたそうです。

母親が再婚し妹が生まれるも再び離婚

やす子さんが5歳の頃、母親が再婚

間もなくが生まれます。

しかし母親はその継父ともすぐに離婚してしまい

困窮した生活が続きます。

やす子さんは当時の様子を

うちは家庭環境が貧しくて、 テレビがなかったり洗濯機がなかったり

と語っており、かなり経済的に苦しい環境であることがうかがえますね。

母親は仕事で家を空けることが多く、

妹と2人で家にいることが多かったというやす子さん、

給食当番の日は余った牛乳やパンを持ち帰り

お腹を空かせた妹に食べさせていたそうです。

自身も空腹だったにもかかわらず、妹思いのやさしいお姉さんですね。

交通事故で生活環境がさらに悪化

14〜15歳の頃、やす子さんは生死にかかわる大きな交通事故に遭い

しばらく学校にも行けず、治療費も嵩んだことから

家庭環境や人間関係が悪化してしまいます。

学費も払えないほどの貧困に陥り、母親との関係もかなり悪かったのでしょう。

この頃のやす子さんは

人生を辞めちゃおうかな

とまで考えたそうです。

児童養護施設から高校に通う

やす子さんは中学3年生の頃、母親に内緒

自ら児童養護施設に助けを求め

高校3年間は、児童養護施設から通うこととなります。

母親とは高校入学から22歳になるまでの6年間、

一度も会っていなかったそうです。

高校では柔道部に所属します。

施設で食事はちゃんと食べられるようになったものの、

高校時代もやす子さんは、

スマホも持っておらず

修学旅行費も先生に借りるという極貧生活を送ります。

高校3年間トイレで食事

高校に入って間もなく、やす子さんは

クラス全員から無視されるいじめを受けるようになります。

高校生の時に、女の子たちと、女子高みたいにご飯食べている時。
スゴいネチネチした子がいたので「○○ちゃんって、ほんと女子だよね」って言ってからハブられて
ずっと便所で3年間ご飯食べてて
便所でご飯、あとは図書室で過ごすってことをやっていました
(サンスポ)

生活のために自衛隊に入隊

日刊ゲンダイ

高校卒業後のやす子さんは、施設を出て就職するしか生きる道がなく、

住み込みで働けるところを探します。

部活の顧問の先生に相談したところ、

選択肢はパチンコ屋自衛隊しかなかったそう。

やす子さんは両方に応募しますが、

パチンコ屋が不採用になったため

結果的に自衛隊に入隊することとなります。

そもそも自衛隊に入った理由は、18歳を過ぎてから、誰も助けてくれない、家も未成年なので借りられないっていうことで、衣食住がそろっているところに安定を求めに入った
山口県には衣食住がそろっているのが、パチンコ屋自衛隊しかなくて。
パチンコ屋さんは落ちちゃったので、自衛隊に入らざるをえなくて。
何も考えず、助けてくれって思いで入った
(サンスポ)

友人の誘いでお笑い界へ

モデルプレス

陸上自衛隊に入隊したやす子さんは、

京都の大久保駐屯地で施設科部隊に配属し、

大型特殊免許を取得、

ブルドーザーのオペレーターとして2年間勤務します。

しかし突然、思いつきで自衛隊を辞めてしまい東京へ行きます。

そして半年ほど清掃員用務員として働いた後、

自衛官時代から付き合いのあった友人に誘われてお笑いを始めます。

そして友人と「新人類」というコンビを結成し

いろんな芸能事務所に履歴書を送り、

唯一返事が来たソニー・ミュージックアーティスツに面接に行き

そこで即日所属が決まります。

ピン芸人・やす子誕生

晴れて所属事務所も決まりコンビ活動を開始したやす子さんですが、

事務所主催のライブで、当日に相方が急に欠席するという事態に見舞われます。

やす子さんは、急遽1時間ほどでピンネタを作り

芸名も本名から「やす子」に変えて出演します。

このことがきっかけで、ピン芸人・やす子としての活動が始まります。

今では母親ととても仲がいいそうで、

よく一緒に旅行や食事に行くそうです。

女手一つで育ててくれた母親に感謝の気持ちを忘れない

心やさしいやす子さんの活躍を

これからも楽しみにしています!

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